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日本は平和だった

縁側は外国人にとって外か内か分からない不思議な空間に見えるようですが、この曖昧さこそが縁側の最大の特徴なのです。そして、この曖昧さは日本人の特徴でもあり、それは言葉にも表われます。
 「やぁ、先だってはどうも」
 「いやいや、こちらこそどうも」
今でもこんな調子の会話が交わされます。これでは、どうもどうなのか、例の何の話なのか、そもそもその話はうまく行っているのかいないのか、少しもはっきりしたことが分かりません。「イエス」でもない「ノー」でもない曖昧な言葉が大手を振って使われているのです。
こういった曖昧さからは、あまり争いごとは出てきません。「ファジィ」「玉虫色」だからです。日本人は相手を傷つけない、おもんばかる、平和を好む民族ということでしょう。

日本の家とヨーロッパの家を比較してみてください。対照的であることがわかります。ヨーロッパの家は窓が小さく、大きな開口部がなくて、内と外とが厳重に分離されています。開放的な日本の家とは大違いです。

この日本とヨーロッパとの違いが何に由来するかと言えば、戦争の仕方の違いにたどり着きます。日本の戦争は、たぶん単一民族のせいか、戦争とは言いながら多くのルールがそれを規制していました。民家は焼き払わない、女・子どもは殺さない、白旗を掲げた敵を襲ってはならない、名乗ってから戦わない男は卑怯だ、等々の規制がなるべく多くのものを殺さない方向へ圧力をかけていたのです。これでは、西欧からすれば単なるスポーツにしか映らないでしょう。
日本の場合、あくまで重要なのは権力闘争であり、どちらが強く、どちらが権力を握るのか、ということさえはっきりとすればそれでよかったのです。西欧の戦争の基本は血と血の争いです。戦争が始まると村の中にまで敵が攻めてきて、女・子どもまで皆殺しにしてしまいます。したがって、家の機能は何よりも外敵から完全に身を守ることに主眼が置かれました。その結果、家の窓はどんどん小さくなり、鉄格子を付けました。家の周囲はしっかりと石で固められ、玄関には大きな鍵がかかり、一軒一軒の家がそれぞれ一個の城となったのです。

西洋建築の歴史の背後にあるこの厳しい現実を見れば、明治時代までは鍵さえなかった日本の住宅の開放的な家が、どれほど理想的なものであるか理解されるでしょう。そして、この家が、あらゆる面で日本人の柔軟さを育ててきたのです。
まさに、家こそが日本人の争いごとを嫌う平和な気質の元になっていたといる要因の一つでしょう。最近、あまりにも嫌な事件が続発していますが、これももしかしたら家の構造が変わってきているせいかもしれません。

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