個室は子失
ブログをちょっとお休みしていましたが、2月から再開いたします。これまでに書き忘れたこと、書き残したことなどを書き綴っていくつもりです。
戦後豊かな社会を迎えるなかで、子供部屋を与えることが、子供の自立を促し、個人を尊重できるとして、望ましく、良いことだという風潮がありました。
しかし、欧米では子供部屋はありません。寝かせるときだけ個室に行かせます。「子供部屋」ではなく、「寝室」なのです。子供は普段、親と一緒に生活をします。それは、子供は生まれたときは動物と同じ、しつけをすることで初めて「人間」になっていくのだと思います。しつけが終わるまでは親が目を離さないほうが良いのです。
ここまで申し上げると、何か思い当たる節があるのではないでしょうか。個室を与えられた子供はわがままになってしまいます。当然、親の監視下におかれないのですから、何をしても自由だと考えてしまうのです。期待通りに勉強している子供はどのくらいいるのでしょうか。個室ばかりで過ごしている子供は家族とのコミュニケーションが悪くなり、その子供は友達とも、先生とも社会ともコミュニケーションの下手な子供に成長してしまいます。
最近、昔では想像もつかなかったおぞましい事件が報道されていますが、個室に問題の一端があるように思います。
昔は個室がなく、兄弟が襖によって仕切られた部屋に住んでいました。たとえばお兄ちゃんが受験ということになると、ラジオを聴いている隣の弟は勉強に差し障りがあるということで、ボリュームを下げて聴いていました。このような何気ない日常生活から、他人に優しくする練習が始まっていたのです。また、襖越しにお父さんとお母さんの嘆きの話を聞いてしまうこともよくあります。「お兄ちゃんは最近遊んでばかりで困ったことだ」などと、襖越しに聞いた親の嘆きは不思議とよく理解します。面と向かって父親にお説教をされ、正座をさせられれば、納得半分、反発半分が事実でしょう。音が筒抜けになる襖の構造は、家族が幸せに暮らし、幸せに成長するための知恵もあったのです。子供に個室を与えて、鍵までつけていることを、子供を失うと書いて「子失」と言っている先生もいるくらいです。